2022年夏。
静岡に台風が上陸した日に前後して、家族旅行で山梨県を訪れました。
この時、気になった地名について、掘り下げてみたいと思います。
笛吹
河口湖方面から甲府市へ向かう途中、気になる地名が散見されました。
笛吹
都留(つる)
多良郷
大月
桂川
九鬼山
まずは、甲斐の笛吹について語る前に、奈良葛城の笛吹について解説したいと思います。
奈良県の葛城市に鎮座する葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)は、一般的には笛吹神社と呼ばれ、笛吹連(ふえふきのむらじ)の祖 天香久山命(あめのかぐやまのみこと)と火の神である火雷神(ほのいかづちのかみ)が祀られています。
▶︎2019年10月25日に訪れた葛木坐火雷神社。この日も大雨でしたが神事が行われており、氏子さんがたまたま訪れた友人と私を拝殿に上げてくださいました。
山梨県笛吹市の由来には、笛吹権三郎という人物の伝説があるようですが、個人的にはもっと古い時代からあった地名のような気がしています。
黒岳を挟んで笛吹市に隣接する都留市には、多良郷と呼ばれた地域に奈良・平安時代の住居遺跡 三ノ側遺跡があり、そこから奈良時代の羽口が見つかっています。
羽口とは、鍛冶の風を吹き込む道具、ふいごの口部分で、つまり、この地域で鍛冶が行われていたことを表す遺物です。
多良郷のタラもたたら製鉄からかと思いましたが、今のところ山梨県で製鉄遺跡は見つかっていないそうです。
奈良の笛吹神社の祭神 天香久山命は、楽器の神様とされていますが、火の神と共に祀られていることから、製鉄や鍛冶に必要な風を送る神でもあると、個人的には考えています。
鍛冶を生業とする人々がこの地にいて、そこから笛吹という地名がついたというのは、考え過ぎでしょうか。
大月
次に気になったのは大月。
もとは大槻と書いたようですが、私の場合、やはり月の神との関係が気になります。
大月について調べてみると、こちらにも桃太郎伝説があるようですね。
桃太郎伝説は各地にありますが、その多くは、鉄の資源や技術を手にしたい朝廷(時代によっては幕府)と、それに抵抗する製鉄民との戦いを表しているのではないかと考えています。
その仮説を裏付けるものはないかと鉄に関する情報を探し、大月市に猿橋鉱山という砂鉄を産出する鉱山を見つけました。
でも、こちらの鉱山が発見されたのは近年になってからですし、古代に製鉄が行われていたという形跡も見当たりませんので、単なる偶然かもしれません。
大月と月の神の関係について
月読は桂の木に降臨したとされ、京都の月読神社は、桂川のそばに鎮座しています。
大月を流れる川も桂川。
「臭うなぁ」と思いながらマップで調べてみたら、河口湖から桂川(相模川)沿岸にかけて日月神社が多数鎮座しており、そのほとんどで、祭神として月読が祀られていました。
九鬼
そんな桂川を見下ろす位置にそびえる九鬼山は、先の桃太郎伝説の鬼がいた場所とされています。
砂鉄が採れる猿橋鉱山は九鬼山周辺にあり、偶然だったとしても、ここからも鬼と鉄の関係性が感じられます。
そして九鬼といえば九鬼氏。
南北朝時代から江戸時代にかけて、九鬼水軍として活躍した海人族ですね。
九鬼山が九鬼氏と関係があるかはわかりませんが、兵庫県福知山市で九鬼氏と関係が深い大原神社にも、月読は祀られています。
最後まで抵抗した縄文勢力
古代の畿内と甲斐。
遠く離れた両地に、関連性がありそうな地名が散見されるのはなぜでしょう。
素晴らしい縄文文化が花開いた甲斐ですが、弥生時代終末期になると、近畿発祥と思われる方形周溝墓が造られます。(上の平遺跡)
▶︎山梨県立考古博物館(甲府市)https://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/
その後の古墳時代前期には、東日本最大級の前方後円墳 甲斐銚子塚古墳が築造され、ここでもヤマトとの繋がりが感じられます。
▶︎甲斐銚子塚古墳(甲府市)
モリヤ神を長とする諏訪の人々は、弥生文化を拒否して朝廷と激しく衝突しましたが、最終的には平伏したと伝えられています。
有名な御柱祭も縄文信仰の名残であり、祭りの最後には朝廷と和合するシーンが再現されているそうです。
古事記の国譲り神話では、タケミナカタはタケミカヅチに諏訪で追い詰められ、この地に身を置き続けることを誓います。
これは、朝廷にとって脅威になり得る勢力を畿内から遠ざけたとも取れますが、朝廷に従属する勢力を諏訪に送ったとも解釈できます。
諏訪と甲府盆地は川一本で繋がっており、同じ文化圏であった可能性があります。
甲府盆地を中心に、縄文遺跡が多数見られ、熊野神社や諏訪神社が多く鎮座するのも、その名残ではないでしょうか。
そんな甲斐に、縄文大国である諏訪が朝廷に平伏したことを東国に知らしめるため、ヤマトを象徴する前方後円墳が築造されたとしたら……。
ここに東日本最大級の前方後円墳がある理由も、見えてくるような気がしませんか?
土蜘蛛の正体
ここで最初に戻り、なぜ甲斐に葛城と同じ笛吹という地名が残るのかを考えてみましょう。
葛城の笛吹神社は、笛吹連(ふえふきのむらじ)の祖神を祀ると説明しましたが、彼らの祖先は尾張氏であるとも言われています。
尾張氏というと、現在は愛知県を拠点とする氏族のイメージが強いですが、元々は葛城の高尾張という地域にいた人々が故郷を追われ、尾張に定住したとも言われています。
尾張氏は天火明命(アメノホアカリ)を祖神としますが、同祖を持つ氏族に丹後の海部(あまべ)氏があり、尾張では熱田神宮、丹後では籠(この)神社にそれぞれ天火明命が祀られています。
▶︎熱田神宮(名古屋市)
もともと葛城にいた彼らがなぜ故郷を追われたかというと、別勢力が侵攻してきたからでしょう。
葛城に鎮座する一言主神社では、雄略天皇が葛城の地を訪れた際、自分と同じ姿をした神 一言主を見て崇敬したと伝わります。
記紀にはそっくりな相手と出会ったり、名前を交換するというシチュエーションが時折見られます。
これを私は、権力の交代や成り代わりを表しているのではないかと考えています。
また、同じ一言主神社の境内には、神武天皇が土蜘蛛を退治して埋めたという蜘蛛塚があります。
(この時、神武天皇は土蜘蛛を葛(かづら)で編んだ籠で討ったとされ、それが葛城の語源とも言われていますが、この記述から、山梨の都留(つる)地名も、蔓(つる)ではないかと考えています)
これらが同じ事柄を伝えているかは定かではありませんが、いずれもこの地で政権交代があったことを、暗に伝えているのではないかと考えています。
▶︎一言主神社(御所市)
海部氏の祖先とされる倭宿禰(やまとのすくね)の妻は、丹後出身の伊加里(イカリ)姫と言い、奈良の吉野には井光(イカリ)神社があります。
古事記には、神武天皇が吉野を通りかかったとき、尾の生えた人が光る井戸から出てきて、名を尋ねると井氷鹿(イヒカ)と答えたとあります。
井光神社は、その井氷鹿を祀る神社です。
そしてこの井氷鹿は、土蜘蛛ではないかと言われています。
イカリとイヒカ、響きに近いものを感じますね。
▶︎笠水神社(舞鶴)丹後風土記残欠には、『二つの祠があり、東は伊加里姫命或いは豊水富神と称する。西は笠水神即ち笠水彦笠水日女の二神である。これは海部直等の祖神である』とあります。伊加里姫の故郷か?
同じく吉野には、国栖(クズ)と呼ばれる人々がいて、勢力争いから逃れてきた大海人皇子(天武天皇)を匿ったと伝えられています。
後に壬申の乱で勝利した天武天皇は、水光(みひか)姫を祭神の一柱とする長尾神社を創建しますが、この水光姫は井氷鹿と同一と考えられています。
常陸国風土記には、クズとは土蜘蛛の別名と記されているそうで、おそらく神武天皇がやってくる以前は、彼らがヤマトを治めていたのでしょう。
土蜘蛛という名称や、光る井戸から出てきたという表現から、彼らは窟に潜り、水銀などの鉱物を掘っていたのではないかとも言われています。
そんな彼らが甲斐に逃れて、三ノ側遺跡で見られるような鍛冶の技術を持ち込んだとは、考えられないでしょうか。
一方の倭宿禰を祖先とする海部氏は、読んで字のごとく海人族で、海人族は月読命を信仰していたと言いますから、甲斐に月読を祀る神社や、月読が降臨したと伝わる桂を川の名前にしたとしても不思議ではありませんね。
葛城を追われた土蜘蛛と海人族の子孫たち。
彼らが甲斐へ逃れていたとしたら……。
そこに故郷を偲んで地名を付けたかもしれませんね。