飯岡と咋(くい)岡
京都府京田辺市の飯岡古墳群。
木津川左岸にある、飯岡山に造られた古墳群ですが、そちらに鎮座する「咋岡(くいおか)神社」が気になりました。
写真:JR片町線より
「いいおか」と「くいおか」がその響きから、おそらく同じ意味であろうと感じたからです。
調べてみると、「咋岡神社」は、かつては木津川と普賢寺川とが合流する地点に鎮座しており、川の氾濫にあって現在地に遷座されたとのこと。
京都の下鴨神社のように、川と川との合流点に建てられた神社に、私は個人的に注目しています。
※咋岡神社があったと思われる地域
※下鴨神社周辺地図 賀茂川と高野川が交わる場所に鎮座しています。
そのような目で見ていくと、「咋」という字は「大山咋(おおやまくい)命」の名に含まれた文字であることに気が付きました。
大山咋神の咋は杭で、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味するとされています。
この神は、滋賀の比叡山、及び京都の松尾山に鎮座するとされ、比叡山麓の日吉大社を総社とする全国の日枝神社や、松尾大社などで祀られています。
※日吉大社 写真:ウィキペディアより
飯岡山古墳群
咋岡神社に意識を引きずられながらも、飯岡横穴墓、薬師山(櫻井)古墳、ゴロゴロ山古墳、弥陀山(朱大王)古墳、飯岡車塚古墳と見学して行きます。
飯岡横穴墓
※花崗岩の地山をくり抜いた石室
薬師山(櫻井)古墳
被葬者:継体天皇の子「椀子(まるこ)皇子」の子「桜井王」(継体天皇の孫)
ゴロゴロ山古墳
被葬者:継体天皇の皇子「椀子(まるこ)皇子」
弥陀山(朱大王)古墳
被葬者:「桜井王」の子「朱大王(あけのおおきみ)」(継体天皇の曾孫)
※墳頂に阿弥陀仏が祀られているから弥陀山古墳と呼ばれているのでしょう
飯岡車塚古墳
被葬者:継体天皇の子である宣化天皇の子「上殖葉(かみえば)王」(継体天皇の孫)
※墳丘は茶畑になっています
このように、飯岡横穴墓を除くいずれにも、継体天皇の子孫が埋葬されたとの伝承があります。
実際の被葬者名の真偽は定かではありませんが、継体天皇に関係する一族が、飯岡山一帯に眠っているとは考えられないでしょうか。
越の国 そして海人族とのつながりへ
天武天皇の時代、それまでのウジ・カバネを撤廃して、「八色の姓」という新しい官僚体制が再編されました。
そんな中で八姓の第一「真人(まひと)」を与えられたのが、三国真人(みくにのまひと)という一族で、継体天皇の皇子でゴロゴロ山古墳の被葬者「椀子皇子」を祖とするとされています。
三国真人の三国とは、福井県坂井市三国町の辺りのことで、継体天皇が即位前の男大迹(ヲホド)と呼ばれていた時代に、その地の治水・排水の難事業を成功させたと伝わります。
その功績により、武烈天皇が崩御された際、某系でありながら後継者として迎えられたとの伝承が残ります。
三國神社
写真:ウィキペディアより
そんな三国に鎮座する「三國神社」の社紋は「桜」。
薬師山古墳が別名「櫻井古墳」と呼ばれ、継体天皇の孫「桜井王」が埋葬されているとされていることも、無関係ではなさそうです。
また、「三國神社」には「大山咋命」が祀られており、冒頭にお話した「咋岡神社」の「咋」が「大山咋命」を表すのではないかという推測にも信憑性が出てきます。
ちなみに「三國神社」も、兵庫川と竹田川が合流し、さらに九頭龍川に合流する手前の地点に鎮座しているとのこと。
先に説明したように「大山咋命」は一般的に山の神とされていますが、水運技術も持っていた、もしくは水運航路や海人族を仕切る神であったのではないかと思われます。
三國神社同様、「大山咋命」を祀る松尾大社が桂川のそばにあり、その境外摂社が海人族が信仰した月読命を祀る「月読神社」であることからも、大山咋命と海の民との関係は深そうです。
※松尾大社境外摂社 月読神社
遷座前の「咋岡神社」の社地のそばを流れていた木津川沿いには、海人族が定住した形跡があり、大隈隼人が移住したことから大住と呼ばれている地域もあります。
そこに鎮座する「月読神社」と、月読が降臨したと伝わる甘南備山麓の「薪(たきぎ)神社」についても、機会がありましたらまたお話したいと思います。