山科との出会い
ここ1年ほどの間にご縁があり、京都市山科区を何度か訪れています。
最初の目的は、天智天皇陵でした。
天智天皇といえば、大津に都を開いた天皇。
それにもかかわらず、その陵が大津ではなく山科にあることに、以前から小さな違和感を抱いていました。
その理由を確かめたくて、山科を訪れたのがはじまりです。

御廟野古墳(山科陵)天智天皇陵
御陵大岩町遺跡と製鉄の痕跡
初めて訪れた際、天智天皇陵の北側、本圀寺の東にたたら遺跡があることを知りました。
この一帯は「御陵大岩町遺跡」と呼ばれ、比良山系から湖西・湖南へ広がる製鉄遺跡群の一つに含まれています。

本圀寺の東側にあるたたら遺跡の碑
たたらとは、日本古来の製鉄技術です。
そして山科には、天智天皇がこの地でたたら場を開いたという伝承も残されています。
この地域の製鉄は6〜7世紀に最盛期を迎えており、年代的にも天智天皇の時代と一致します。
天智天皇は、この地で行方不明になったため、陵が築かれたとも伝えられています。
しかし、実際にたたらの痕跡があるとなると、天智天皇は失踪する以前から、この地と深い関係を持っていたのかもしれません。
ここで注目すべきは、山科の製鉄が鉄鉱石を原料としていた可能性です。
一般的にたたら製鉄といえば奥出雲の砂鉄によるものが有名で、日本列島では鉄鉱石は採れにくいとされています。
つまり、山科で使われた鉄鉱石は海外から持ち込まれた可能性が高い。
それを裏付けるように、遺跡からは朝鮮半島の技術である「水臼」の痕跡が見つかっています。
水臼とは、水力(水車)を使い、臼で鉄鉱石を砕く技術です。
本圀寺境内を流れる琵琶湖疏水 この水の力を使って鉄鉱石を砕いていたのでしょうか
さらに、御陵大岩町遺跡の須恵器窯跡からは、新羅の土器に見られる「コンパス文」を持つ須恵器が出土しています。
これらのことから、山科には古墳時代後期にはすでに、渡来系の高熱技術集団が存在していたと考えられます。

本圀寺本堂の裏手に見える大岩 大岩地名の由来か。この辺りに須恵器窯跡があったらしい。
小野氏と和邇氏
山科には「小野」という地名が残っています。
これは古代豪族・小野氏に由来するもので、小野小町が晩年を過ごした地とも伝えられています。

小野小町が余生を過ごしたと伝わる隨心院
https://www.leafkyoto.net/store/211013-kyoto-zuishinin/より引用
小野氏は7世紀前半から平安中期にかけて活躍した氏族で、近江の和邇氏の枝氏とされています。
本拠は現在の大津市小野周辺。
この地域は渡来人が多く、小野氏は彼らの高度な製鉄技術を背景に、勢力を伸ばしたと考えられます。
さらに和邇氏自体も、若狭では渡来系海人族とされており、渡来人と深く結びついた氏族であった可能性が高いと思われます。
また和邇氏は、代々天皇家に妃や皇后を輩出してきた氏族でもあります。
山科は古代、宇治郡に属していましたが、和邇氏を母に持つ菟道稚郎子は宇治を拠点としていました。
このことから、山科もまた、和邇氏の勢力圏に含まれていた可能性が見えてきます。

菟道稚郎子の墓とされる宇治墓(京都府宇治市)
宮道(みやじ)氏と建部氏
山科の在地豪族として忘れてはならないのが宮道氏です。
史料は多くありませんが、宮道氏の娘・列子が藤原高藤に見初められ、二人の間に生まれた胤子が醍醐天皇の生母となったことで、天皇の外戚として繁栄したことで知られています。

宮道朝臣列子墓(宮道古墳)
そんな限られた情報の中で、私が個人的に気になったのは、宮道氏の祖神として、ヤマトタケルが祀られていることです。
ヤマトタケルと言って思い出すのは、大津を拠点とした建部氏が、祖神を祀る建部大社です。

山科神社には、宮道氏の祖として日本武尊(やまとたけるのみこと)と、子の稚武王(わかたけのみこと)が祀られている。
建部氏の出自を辿ると、阿保氏に行き着きます。
雄略天皇の時代、伊賀国造・阿保意保賀斯が、「建部君」の姓を与えられたことで、阿保氏の一部が建部氏となりました。

息速別命墓(三重県伊賀市)
そんな阿保氏には、二つの系統があります。
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栗東(栗太郡)を拠点とする於知別の系統
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伊賀を拠点とする息速別の系統
いずれも垂仁天皇の皇子を祖としています。

小槻大社 滋賀県栗東市(旧栗太郡)鎮座 栗東阿保氏の祖、於知別命(おちわけのみこと)を祀る
ここで気になるのが、「栗」という地名の共通性です。
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栗太(阿保氏の拠点)
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栗栖野(宮道氏の拠点)
さらに伊賀の地名の由来にも、山に囲まれた地形を「いが栗」に例えたという説があります。
このように、偶然とは思えない符合が見えてきます。

中臣遺跡は、山科川と旧安祥寺川が交わる場所から北方、栗栖野丘陵一帯に広がります。
写真は中臣遺跡に鎮座する中臣神社。
さらに重要な点は、天智天皇の皇子・大友皇子の母が伊賀氏出身ということです。
伊賀氏とは、伊賀阿保氏が地名から名乗った氏族です。
つまり大友皇子は、建部氏にとって同族の血を引く皇子となります。
壬申の乱で建部氏が大友皇子側についたのも、この関係を考えれば自然な流れといえるでしょう。
ここまでで、以下のようなことが見えてきました。
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山科には渡来系の高熱技術集団が存在した
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小野氏(和邇氏)・宮道氏がこの地に関わる
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間接的に建部氏(阿保氏)との接点も複数見える
ただし現時点では、宮道氏と建部氏が同族であるという確証までは得られていません。
それでも、技術・地名・祭祀・血統が重なるこの関係性は、無関係とは考えにくいというのが、今のところの実感です。
もう少し掘り下げていけば、山科という土地に流れていた「大きな構造」が見えてくるかもしれません。
高熱技術に関係する神々
冒頭でも触れたように、山科にはたたら場や須恵器窯など、高熱技術に関わる遺構が見られます。
このことから、古代の山科には、火や熱を扱う高度な技術集団が存在していたと考えられます。
そこでここからは、山科に鎮座する神社の祭神から、その姿を探ってみます。
花山稲荷神社は、宮道氏を外祖母家とする醍醐天皇の勅願によって創建された神社です。
境内には弥生時代の墳丘墓があり、神社成立以前から信仰の場であった可能性が高い場所です。

弥生時代のものと考えられている墳墓 稲荷塚
平安時代の後期に、三条小鍛冶宗近が、ここで名刀「小狐丸」を打ったとの伝承があり、フイゴや窯に適した土が採れる場所のようです。
その墳丘上には、二つの社が鎮座しています。
四社神社
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久久之智大神(木の神)
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草野比売大神(草木・建物=茅の神)
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埴山比売大神(土の神)
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速秋津比売大神(宇迦之御魂大神の幸魂)
達光宮
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市杵島比売大神(水上交通の神)
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金山比古・比売大神(金属・鍛冶の神)
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天目一筒大神(製鉄・鍛錬の神)

稲荷塚の墳丘上に鎮座する四社神社
たたら遺跡の存在を考えれば、金属や鍛冶の神が祀られているのは自然なことです。
また、火を扱うには大量の木材が必要となるため、木の神が祀られるのも必然といえるでしょう。
こうした「火・土・木」の組み合わせは、製鉄や土器焼成といった高熱技術の現場を象徴しています。

たたら製鉄で知られる奥出雲に鎮座する鬼神(きしん)神社
スサノオの子のイソタケルを祀ります。鬼は木であり、イソタケルはスサノオに命じられて、製鉄に必要な木を植えたと伝わります。
中でも特に私が注目したのが、草野比売大神(カヤノヒメ)と天目一筒大神(アメノマヒトツ)です。
カヤノヒメは、木花咲耶姫の母神であり、大山津見神の妻とされています。
大山津見神は、火の神カグツチの遺体から生まれた神であり、木花咲耶姫も火山と関わる神です。
このような系譜を見ると、カヤノヒメは単なる「草木の神」というより、火と深く関わる自然循環の神格として理解できそうです。

富士山周辺には浅間とつく神社が複数あり、火山の神として木花咲耶姫が祀られています。
一方のアメノマヒトツは、製鉄・鍛冶の神であり、激しい炎によって、目を損傷することが多かった製鉄民の象徴ともいわれます。
さらにこの神には、伊賀阿保氏の祖である息速別と同一視する説もあります。
建部氏が阿保氏から派生したことを考えると、この地にこの神が祀られていることも偶然ではないような気がしてきます。
息速別の父は垂仁天皇ですが、この系統には製鉄に関わる伝承が多く見られます。
たとえば、垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦は、剣を千本作って石上神宮に納めたと『日本書紀』に記されています。
また、垂仁天皇の第一子である誉津別(ほむつわけ)には、製鉄民とされる鳥取氏に関する伝承があります。

垂仁天皇の后の多くは和邇氏の血を引いており、息速別もその系譜に連なると考えられます。(詳細は巻末の付録をご覧ください)
つまり、阿保氏をルーツにもつ建部氏も、和邇氏の血縁である可能性があります。
さらには、小野氏も和邇氏の枝氏なので、山科を拠点とした宮道氏と小野氏は、いずれも同じ系譜に繋がるということになります。
近江国・宇治郡(山科)に散った人々
最後に、近江国や宇治郡で命を落とした人物たちを整理してみます。
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天智天皇(大津京で病死、または山科で失踪説)
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大友皇子(瀬田の唐橋で自害)
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忍熊皇子(同地で殺害、遺体は宇治川で発見)
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市辺押磐皇子(蚊屋野で暗殺)
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ヤマトタケル(伊吹山で猪に襲われる)
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菟道稚郎子(皇位を譲り宇治で自害)
これらの人物を系譜で見ていくと、和邇氏・阿保氏(建部氏)との関係が浮かび上がってきます。
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天智天皇:大津に都を置く(建部氏・小野氏の拠点)
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大友皇子:壬申の乱で建部氏が味方
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ヤマトタケル:建部氏の祖とされる
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菟道稚郎子:母が和邇氏
こうして見ていくと、山科という土地は単なる一地域ではなく、製鉄・高熱技術を担う氏族ネットワークと、王権を巡る血統が交差する場であった可能性が見えてきます。
ここに挙げた人物たちの出自をさらに追っていけば、より大きな歴史の流れが見えてくるのかもしれません。
付録
このブログに登場する人物の関係図です。
