ガラスの来た道
小寺智津子さん著「ガラスの来た道」より要略。
紀元前5〜3世紀ごろ、中国では戦国時代。
朝鮮半島南部(辰国)で、中国由来のガラスが流通。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E5%9B%BD より
同時期の吉野ヶ里遺跡の甕棺からは、半島製銅剣と共にガラス管玉(鉛バリウムガラス)製髪飾りが出土している。
大阪府立弥生文化博物館展示(レプリカ)
吉野ヶ里遺跡の管玉とよく似たものが、吉林省樺甸県にある戦国時代末期から前漢初期並行期の、土着の青銅器文化の墓から出土している。
ここから出た管玉は、同時期の中国製の中でも品質が良く、碧玉製の珠より上位とされたと思われる。
ただし、吉林省でガラスが作られていた形跡はなく、中国国内で作られた珠類が集められる流通の拠点であった。
このため、吉野ヶ里から出土した頭飾りは、吉林省から朝鮮半島を縦断し、辰国から運ばれたと考えられる。
ただ、半島では頭飾りが見つかっておらず、吉野ヶ里出土の頭飾りに使用された管玉には、長さを変えようと手を加えた形跡が見られることから、わざわざ頭飾り用にサイズ調整して組み直した可能性がある。(ガラスを鋳造する技術はまだなかった)
これらのことから、頭飾りは倭人特有の権威の印であったと思われる。
弥生時代中期中葉に台頭してくる伊都・奴 出土のガラスは、鉛ガラス・カリガラスであり、明らかに吉野ヶ里出土のガラスとは異なる。
同時期、中国では前漢が成立し、衛氏朝鮮が楽浪郡と交易。
紀元前108年には、漢が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡・玄菟郡を設置した。
http://web1.kcn.jp/west_fields/kodai/3_yayoi.htm より
伊都国からは、前漢時代の銅鏡のほか、ガラス管玉・勾珠・ガラス璧などが出土している。
このガラス璧は漢代の墓から出土のものと酷似しており、漢帝国との深い繋がりが考えられる。
また、このガラス璧と同時に見つかった勾玉は同成分と見られ、改鋳した可能性がある。
これは、漢からの下賜品であるガラス璧を勾玉に改鋳したと思われ、倭国内では勾玉の方が権威を示しやすかったと考えられる。
ただし、北九州では勾玉だけでなく、漢鏡も権威付けに使われたと考えられる。
ガラス璧を改鋳して管玉にした可能性がある https://shisekinavi.com/itokokurekishihakubutsukan/ より
ここからは妄想
当時の有明海は、今より広範囲であり、吉野ヶ里遺跡から海までは2kmほどしかなかったと考えられる。
https://suido-ishizue.jp/nihon/11/01.htmlより
吉野ヶ里の遺物たちは、朝鮮半島から玄界灘を超えてきたと考えられるが、半島の南端から最短距離にある大国 伊都が台頭して来るのは、これより後、前漢の時代である。
当時の航海技術から考えて、吉野ヶ里を目指した渡来人たちは、比較的潮の流れが緩やかな五島列島→有明海ルートを使った可能性もありそうだ。
これらのことから、中国国内の覇権の遷移によって、北部九州の勢力も吉野ヶ里から伊都(奴)に遷り、航海ルートも朝鮮半島の西側を起点とするものから、東側へ変化したのではないだろうか。
弥生時代中期後葉には、京丹後市の奈具岡遺跡にカリガラスと鉛バリウムガラスの小玉が持ち込まれ、ガラス玉製作が行われている。
立地的に考えると、漢が設置した玄菟郡は現在の北朝鮮の東側(中心は咸興)に位置しており、そこを起点に潮の流れに乗れば、丹後方面への渡航は比較的容易であったと思われる。
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN8/sv/teach/kaisyo/stream4.html より
玄菟郡の範囲には、吉野ヶ里と似た管玉が出土した吉林省も含む。
この地域では、もともと中国内のガラスが取引されており、流通の要所であるこの地を漢が手に入れたとすると、丹後には朝鮮半島を介せず、直接高品質なガラスが持ち込まれた可能性もありそうだ。
以後、高句麗に玄菟郡が滅ぼされるまで交流が続いていたとすれば、その間に造られた大風呂南墳丘墓や赤坂今井墳丘墓で、ガラス釧やガラス製頭飾りなど、他の地域では見られないガラス製遺物が見つかる理由も見えてくるかもしれない。
最後に、濃いめの妄想
伊都国=前漢鏡・ガラス勾玉出土。
https://www.facebook.com/itokoku110/posts/1592920017538392より
伊都国への中継地壱岐=月讀神社(月読神社総社)
丹後:大風呂南墳丘墓=ガラス釧出土。ガラス釧は腕輪ではなく、中国の佩玉(佩環)の可能性。近くの弓木に水無月神社鎮座(祭神 月読)
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20201203002845.html より
因幡:桂見1号土壙墓=ガラス製勾玉出土。そばに桂尾神社鎮座(祭神 月読)
因幡:松原1号墳丘墓=ガラス製勾玉出土。桂見1号土壙墓と同じく、かつてはラグーンであったとされる湖山池の湖畔にある。
因幡の白兎伝承
松原1号墳丘墓 http://db.pref.tottori.jp/ruins.nsf/map-471/index.html より
出雲:西谷墳墓群=ガラス勾玉出土。丹後型土器も出土。
https://www.src.shimane-u.ac.jp/kenkyu_jigyou/src_project/list/project_1607.html
台状墓から墳墓へ移行する中で、主な副葬品がガラス小玉から鉄に変化し、珠類などは中心主体のみに。
勾玉の形状は北九州を引き継ぎながらも独自に変化。
各地域の権力者は、中国・朝鮮・北九州と交流してガラスを手に入れていた。
ガラスの副葬は、大首長とその近親者のみ。(鉄より上位)
丹後ではガラス小玉の価値が下がった(沢山あり過ぎた)ため、丹波や但馬、東方へ供給した=赤坂今井墳丘墓のガラス製頭飾りで結実。
京丹後市立丹後古代の里資料館展示(レプリカ)
玄菟郡=ウサギ
鴨緑江=カモ。中国と北朝鮮の国境となっている川。吉林省(玄菟郡)の象徴的な川。
鴨緑江 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E7%B7%91%E6%B1%9F より